西国の僧(ワキ)が都に赴く途中、摂津の国の生田川に着き、そこで咲き誇る花を眺めていて、通りすがりの男(シテ)に梅の花の名を尋ねます。男は「箙の梅」で、生田の森で源平の合戦の折に、源氏の梶原の源田景季がこの梅の枝を箙に挿して功名を立てたことから名付けたと言い、その合戦での様子を詳しく語り始めます。夕刻になり、一夜の宿を請う僧に、男は自分は実は景季の亡霊だと明かして消えます。
梅の木陰で休む僧の前に、景季の亡霊が箙に梅の花を挿した若武者の姿で現れ、合戦で梅の花を挿して果敢に戦った修羅道での様を再現します。そして僧に回向を頼み、姿を消していきます。
「田村」、「八島」と共に勝修羅三番の内の一番で、合戦の際しても花に心を寄せる勝武者の美学が感じられる作品です。
作者 世阿弥(一説)
季節 春(旧暦2月/現在の3月)
場所 摂津 生田の森(現在の兵庫県神戸市中央区)
分類 修羅物
典拠 『平家物語』長門本、『源平盛衰記』
写真

能『箙』 前シテ 観世流能楽師 中村裕

能『箙』 後シテ 観世流能楽師 中村裕
浮世絵

月岡耕漁『能楽図絵』前編下 国立図書館デジタコレクション

月岡耕漁『能楽百番』 シカゴ美術館 蔵