能『花月』(かげつ) まとめ
- 四番目物、芸尽物*1
- 花月(シテ)と名乗る少年は、故郷である筑紫の彦山*2で天狗に連れ去られ、日本各地の山々から遠くは富士山まで連れ回されたのちに、京都雲居寺*3に喝食*4として仕えてきた。
- 旧暦2月(2月下旬から4月上旬ごろ)、仕えている寺からほど近い、桜咲く清水寺*5で、偶然にも父と再会し、一緒に仏教の修行の旅をしながら帰京することができるように。
- 清水寺で会った僧(ワキ)は、7歳の我が子と生き別れて出家したのちに、諸国修行の旅に出た父であった。
- 清水寺縁起*6の軽やかなクセ舞、父との再会の後に故郷を去ってからの辛かった日々を思い出しながら舞う羯鼓(かっこ)*7に注目
- 門前の者と共に楽しむ恋愛の小歌*8は、元々は自由なリズムであったものが、能の拍子に合うように換えられた。この他の特異な拍子の節もお聞き逃しなく。
能『花月』 あらすじ
七歳の子供を見失ったことから出家した男(ワキ)が都の清水寺に行くと、花月と名乗る少年がいました。花月は門前の者と小歌を楽しんだり、花の枝のウグイスを弓でねらったり、清水寺縁起のクセ舞を舞って興じています。
僧がよく見ると成長したわが子ということが分かって対面をとても喜びます。花月は門前の人達との別れに舞を舞い、幼時に天狗にさらわれて諸国の山々を巡った思い出を物語り、その後で父に伴われて修行の旅に出るのでした。
*1 | げいづくしもの 芸尽物 | 元来、能の催しは五番の番組で構成されることが一般とされていた。 その四番目に演じられる演目 四番目物の中の一つ。芸尽物のの他に、夜神楽物、執心女物、執心男物、狂女物、男物狂物、唐物、人情物、侍物、斬合物、特殊物がある。 |
*2 | ひこさん 彦山 | 福岡県田川郡添田町にある英彦山 →地図 |
*3 | うんごじ 雲居寺 | 京都府京都市東山区にあった桓武天皇菩提寺の天台宗寺院。 承和4(837)年、菅野真道が桓武天皇の菩提を弔うために創建したと言われている。八坂寺の東に隣接し、現在の高台寺周辺にあった。 寺町今出川の十念寺に合併した。 →雲居寺のあった近くの高台寺の地図 |
*4 | かっしき 喝食 | 禅宗で、諸僧に食事を知らせ、食事について湯、飯などの名を唱えること。 また、その役をつとめる僧。 有髪の小童がつとめた。 |
*5 | きよみずでら 清水寺 | 京都府京都市東山区清水にある北法相宗の大本山の寺院。宝亀9(778)年創建。本堂が国宝、鐘楼、西門、馬駐がそれぞれ重要文化財である。また、「古都京都の文化財」の寺社の一つとして世界遺産に指定されている。 雲居寺周辺から石段を上るとすぐに清水寺がある。毎日徒歩で行き来できる距離にある。 →地図 |
*6 | 縁起 | 社寺・宝物などの起源・沿革や由来。また、それを記した書画の類の意味がある。花月では清水寺の由来にまつわる曲舞をする。 現代で用いられる、吉凶の前触れ、兆し、前兆という意味ではない。 仏教では、因縁生起(いんねんしょうき)の略語として用いられ、全ての現象は、原因や条件が相互に関係しあって成立しているものであって独立自存のものではなく、条件や原因がなくなれば結果も自ずからなくなるということを意味する。 清水寺は、坂上田村麻呂が嵯峨天皇から公認を受けて建立された。坂上田村麻呂は清水寺における信仰と共に立身出世していった経緯がある。 能『花月』は制作時期や作者が不明だが、清水寺縁起について、古くは、坂上田村麻呂の活躍した8世紀からいくつかの書物に記されている。能『花月』制作の前後には、『清水寺縁起絵巻』(清水寺縁起とも呼ばれる)が永正14(1517)年に制作され、清水寺の草創、坂上田村麻呂の蝦夷征伐や本尊観世音菩薩の霊験説話を33段に描かれた。国宝として東京国立博物館に所蔵されている。能『田村』は平安時代後期に成立した説話集『今昔物語』や『清水寺縁起』が題材とされている。 |
*7 | かっこ 羯鼓 | 羯鼓という名の、胴の両側に革の張った太鼓を前につけて、両手のばちで両面を打ちながら舞う能の舞。 |
*8 | 小歌 | 室町時代に行われていた、民間流行の俗謡を上流社会で取り上げ用いたものをいう。 |
筑紫彦山 地図
英彦山, 添田町, 田川郡, 福岡県, 日本
雲居寺が隣接していたとされている高台寺とその周辺 地図
高台寺, 維新の道, 下弁天町, 東山区, 京都市, 京都府, 605-0826, 日本
清水寺 地図
清水寺, 音羽道, 清水一丁目, 東山区, 京都市, 京都府, 605-0922, 日本
能『花月』背景
作者 | 不明 |
題材 | 不明 |
場面 | 京都 清水寺 |
季節 | 春(旧暦2月) |
分類 | 四番目物、芸尽物 |
能『花月』写真・浮世絵
能『花月』観世流能楽師 中村 裕
耕漁『能楽図絵』後編上 能『花月』 (シカゴ美術館より) 『能楽図絵』については、観世流能楽師中村裕公式サイトにてより詳しく紹介しています。
耕漁『能楽百番』前編 能『花月』 (シカゴ美術館より)
能『花月』 装束・面
シテ 装束・面
シテ 花月 観世流能楽師 中村政裕 | |
かぶりもの 冠り物 | 前折烏帽子 |
おもて 面 | かっしき 喝食 |
かはつ 仮髪 | かっしきかずら 喝食鬘 |
鉢巻 | ー |
襟 | 白・赤 または 白・浅黄 |
うわぎ 上着 | 水衣 |
きつけ 着附 | 厚板 または 縫箔 |
はかま/もぎ 袴/裳着 | 白大口 または 色大口 |
腰帯 | 繍紋腰帯 |
扇 | 童扇 |
小道具 | 弓矢 ものぎ かっこ 物着 に 羯鼓 (シテが、舞台から退場せずに後見座で羯鼓という胴の両側に革を張った小さな太鼓を腰に身に着け、両手に撥ばちを持って舞います。) |
能装束の例(写真)をご覧になりたい際には、独立行政法人日本芸術文化振興会文化デジタルライブラリーにてご参照下さい。
ワキ 装束
ワキ 旅僧 福王流能楽師 村瀬 慧 | |
冠り物 | 角帽子 |
鉢巻 | ー |
襟 | 樺 (樺桜の樹皮が由来となった色。赤身の橙色。) |
上着 | 水衣 |
着附 | 無地熨斗目 |
袴/裳着 | ー |
腰帯 | 緞子腰帯 |
扇 | 墨絵扇 |
小道具 | 数珠 |
能装束の例(写真)をご覧になりたい際には、独立行政法人日本芸術文化振興会文化デジタルライブラリーにてご参照下さい。
間狂言
清水寺門前の者 和泉流能楽師 三宅 近成 |
出典 観世流謡曲百番集
参考
『花月』- 耕漁『能楽図絵』後編 上(松木平吉, 1901)
『花月』- 耕漁『能楽百番』前編 (1893–1908)
(→ 「シカゴ美術館」)
『花月』― 耕漁『能楽百番』及び 他の作品 他
(→ 「文化デジタルライブラリー」)
(運営 独立行政法人日本芸術文化振興会)
耕漁『能楽図絵』および『能楽百番』は、シカゴ美術館の規定に則り、掲載しています。
シカゴ美術館は、ニューヨークのメトロポリタン美術館、ボストン市のボストン美術館と共に、アメリカ合衆国の三大美術館と数えられます。これらの美術館と同様に、個人コレクターからの寄贈がコレクションの充実に大きく寄与しています。
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